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OBインタビュー(第2回) 山中晨さん(昭和28年卒)
お知らせ
2022.07.24

OBへインタビューして、色々な話しを聞こうというこの企画。第2回は済々黌ラグビーOB会事務局として、約半世紀にわたりご尽力いただきました山中晨さん(昭和28年卒)に、OB会発足当時の話や事務局としての思い出話等をお聞きしました。
【聞き手・構成 森永久(昭和45年卒)、村上嘉一(平成6年卒)】


インタビュー時 左:山中氏 右:森永氏(S45年卒)

Q:ラグビーを始めたきっかけは?
A:もともと兄(謙氏、昭和26年卒)が済々黌ラグビー部でキャプテンをやっていたので、中学生の頃から済々黌の試合を見に行っていた。だから済々黌に自分が入ったら自然とラグビー部に入部していた。兄の影響が大きく、兄がやってなかったらラグビーをやっていたかどうか。

Q:練習はどんな感じでやっていたのですか?
A:指導者がいたわけではないので、OBが来て指導してくれたりもしたが、基本は自分たちで考えて練習していた。ポジションは1年生の時はウイングで、最後はフルバックをやっていた。

Q:その当時のライバル校は?
A:熊本工業、鎮西が強かった。熊高、八代、九学、松橋なんかもあった。

Q:卒業後もラグビーを続けたのですか?
A:中央大学に進学したけど、ラグビー部には入らなかった。体育の授業で少しやっていたのと、夏休みとかに済々黌に帰ってきてやっていた。たまに現役対OB戦みたいなこともやっていた。

Q:どのようにしてOB会が立ち上がったのか?
A:兄(謙氏)が済々黌の教員をやっていて、昭和40年代の夏合宿に何人かのOBが参加していて、そんなところからOB会みたいなものが何となくできた。その時は各自都合が良いときに集まるみたいな感じだったが、組織的なものにしようと話があがり昭和47年に正式なOB会ができた。

Q:OB会発足当初の思い出は?
A:頻繁に集まるわけではなかったが、正月の熊高との定期戦の後は、OBが山中家に集まって、ラグビーのTV観戦をやっていた。組織的というよりは、ラグビー好きな有志が集まったたまり場みたいな感じだった(笑)。

Q:OB会運営で楽しかったことは?
A:熊高定期戦にみんなが集まり、参加者がだんだん膨らんでいったこととか、三地域対抗(関東、関西、九州)の試合を福岡まで皆で見に行っていたことかな。

Q:逆にご苦労されたことは?
A:組織的な形がなかったときは、行事とか、会費のお願い等の伝達が大変だった。通信費とか印刷費とかいろいろお金がかかることも、OBがよく協力してくれた。

Q:OB会運営で大切にされてきたことは?
A:現役の試合結果を含めた色々な情報をOBに知らせると、関心を持ってもらえて、何らかの反応があり、それが運営にも良い影響を与えてくれていた。

Q:花園初出場のときの思い出は?
A:花園出場は願望の頂点にあった。それが実現できて本当に良かった。先発隊として学生たちのホテルまでの引率もやったかな。


Q:OB、OGへのメッセージ。
A:現役を温かく見守ってほしいし、その時々に応じた援助をお願いしたい。

Q:現役生への応援メッセージ。
A:現役に対してどうこう言う力量も無いけど、ひとつ言うなら、OBになっても済々黌ラグビーにずっと関心をもっていてもらいたい。

現役への寄贈(2010年)

傘寿のお祝い(2013年)

現役生を前に(2016年)

現在、済々黌ラグビーOB会事務局は複数人で運営を行っていますが、この事務作業をご夫婦で永年やっていただいたことには本当に頭が下がります。
我々現事務局が受け継いだこのバトンをしっかりと後世に繋げていきたいと思います。