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済々黌ラグビー部 発足の歴史
「熊本ラグビー80年史(熊本県ラグビーフットボール協会 創立60周年記念誌、2009年6月発刊)」より抜粋
県立中学済々黌にラグビー部が誕生したのは、1929(昭和4)年で中学では一番早い。しかしラグビー部といっても本職は数人で、五高、医大の先輩達の呼びかけによって、陸上部員が中心になってチームができた。済々黌の初代部長は「熊本OBクラブ」のメンバーであった宇佐美守、第2代部長は牧瀬長徳(東京高師出の体育教師、昭和5年1月の第5回全国高専大会で優勝した東京高師のスタンドオフ)。牧瀬長徳は済々黌に1930(昭和5)年4月から奉職、指導者として大いに期待されたが、病魔に襲われ、その年の2学期に退職そして亡くなった。済々黌は惜しい指導者を失った。
済々黌は中学に相手がいないので、もっぱら五高や熊医大と練習試合をしていたが、公式戦は1932(昭和7)年の九州中学大会で、一回戦で佐賀の鹿島中と対戦している。これが熊本県の中学の公式戦初試合である。試合は3対15で済々黌が負けた。済々黌の県外での試合はこの一試合だけで、そして1936(昭和11)年には自然消滅した。
第15回全国中学大会九州地区予選 準決勝 1932(昭和7)年12月25日 春日原
済々黌 3(0・3)-15(9・6) 鹿島中
メンバー FW(大村・岩下・工藤・中村・辻・江口・岡山・河野)HB(稲岡・相沢)TB(葉・葉・西尾・池見)FB(久保)
FW④の中村は第6代県協会会長の中村和、FW⑥の江口は熊工でラグビーをつくった江口正、TBの葉兄弟は紅蘭亭の双子で兄の葉炎花は一高ラグビー部に進んで活躍した。この時の済々黌の指導者は鳥取良平である。
1945(昭和20)年8月15日終戦、ラグビーに復活の兆しが見られる。 (中略)
中学(旧制)では熊本中学が体育教師の川越宝輔が面倒を見て一番早く練習を始め、済々黌も部活動を再開している。 (中略)
済々黌は1946(昭和21)年には少人数ながら五高と語専と一緒に練習や合宿を行っている。校舎は戦災で焼け授業は二部授業、授業がない空き時間や放課後に誰かが校庭でボールを蹴っていた。その頃は済々黌OBの中村和(第6代県協会会長)や太田美則(早大出・元県協会副会長)が来て指導していた。本格的に練習を始め強くなったのは1949(昭和24)年頃からで、その頃の中心選手が山中謙(東京教育大OB、元県協会副会長)。猛練習と福岡遠征等で実力をつけたが、全国大会前に3年生が引退してしまうこともあって成績を残せなかった。山中謙は山中三兄弟の長兄、東京教育大学を卒業後、北海道遠軽高校に勤め、全北海道チームのメンバーとして静岡国体に出場している。この静岡国体の全北海道チームには山中謙と東京教育大学の同級生で北海道留辺蘂高校に奉職していた池田一徳(元熊大ラグビー部長)も出場している。山中謙は一巡目の熊本国体では唯一人の補強選手で主将として出場し、済々黌の監督、高体連専門委員長、県協会の副会長を務めた。弟の山中晨は済々黌・中央大出身、県協会理事を長く務め、現在は済々黌ラグビーOB会の事務局長として活躍している。(当時)
済々黌ラグビー部の歴史と入賞歴
昭和4年度 済々黌中学ラグビー部創部
昭和5年度 初試合 済々黌中対熊本医大予科
昭和6年度 済々黌対熊本医大予科・済々黌対五高
昭和7年度 鳥取良平教諭 ラグビー部長・監督就任
全国ラグビー中学選手権九州予選大会出場(対佐賀鹿島中 8-15、西鉄春日原競技場)
昭和11年度 自然消滅(休部)
昭和21年度 ラグビー部復活
中島桂介教諭 ラグビー部長・監督就任
昭和22年度 済々黌中・熊本中学正月試合実施
昭和23年度 熊本県立済々黌高校ラグビー部創部
昭和24年度 初ユニフォーム制作 チャコールグレー襟白 左胸にSRA
昭和30年度 GK杯2位
昭和31年度 済々黌・熊高ラグビー定期戦開始 現役6-6 OB20-3
熊本県新人戦2位
昭和34年度 全国大会予選2位
昭和35年度 国体予選2位
全国大会予選3位
昭和36年度
37年度
熊本県ラグビー協会会長に加地正隆氏(S6年卒)就任
昭和38年度 国体予選2位
全国大会予選2位
昭和41年度 九州大会(19回 1回戦都城農業)出場(県予選優勝)
昭和42年度 九州大会(20回 1回戦大分舞鶴)出場(県予選優勝)
昭和44年度 井手積氏(S42卒) ラグビー部監督就任
九州大会(22回大分1回戦長崎南高)出場 (県予選優勝)
第1回会長杯優勝(社会人・大学・高校一緒の総当たり制)
昭和47年度 済々黌ラグビーOB会設立
済々黌高校創立90周年記念式典
昭和48年度 熊本県新人大会3位
6月 福岡九州朝日放送チームと済々黌OBチーム親善試合
昭和49年度 済々黌ラグビーOB会よりユニフォーム贈呈
九州大会県予選2位
全国大会県予選3位
昭和50年度 加地杯優勝
熊本県新人大会優勝
九州新人大会1回戦敗退(高鍋高)
全国大会県予選2位
全国大会中九州大会出場 済々10-88佐賀工業
 
昭和51年度 会長杯優勝
熊本県新人大会優勝
九州新人大会一回戦敗戦
全国大会県予選2位(中九州大会辞退)
昭和52年度 会長杯2位 熊本県新人戦2位
朝日招待・全九州東西対抗戦に星山晃君ロックで出場
全国大会県予選2位
中九州大会済々黌3-26佐賀工
 
昭和53年度 OB会よりスクラムマシーンとユニフォーム寄贈
会長杯2位
全国大会予選3位
朝日招待・全九州東西対抗戦 中村博之君FBで出場
昭和54年度 正清宗昭氏(S35卒)ラグビー部監督就任
会長杯熊本地区2位 熊本県高校総体3位
昭和55年度 熊本県ラグビー協会会長加地正隆氏(S6年卒)名誉会長就任
昭和56年度 熊本県ラグビー協会会長に中村和氏(S9年卒)就任
昭和57年度 OB会ユニフォーム寄贈
済々黌創立100周年記念式典・済々黌運動部OB連合会発足
※記念試合済々黌現役対熊本高46-3
済々黌OB対オール熊本18-23
熊本県新人戦2位
熊本県高校総体2位
全国大会予選3位
昭和58年度 熊本県新人戦2位
熊本県高校総体2位
全国大会予選2位
昭和59年度 会長杯Aリーグ3位
OB会よりユニフォーム贈呈
昭和60年度 熊本県高校総体優勝 九州大会出場(1回戦対大分舞鶴高 3-52)
昭和61年度 熊本県新人戦3位 会長杯Aグループ 4位
昭和62年度 熊本県新人戦2位 第9回九州新人大会出場(1回戦対コザ高 0-25)
昭和63年度 会長杯Bグループ優勝
熊本県高校総体2位
九州高校総体1回戦11ー0佐伯鶴城
2回戦0-3名護
全国大会県予選 3位
昭和64年度 九州新人大会県予選 優勝
平成元年度
全九州新人大会A1回戦18-3大口
2回戦4-52佐賀工
会長杯Aグループ2位
熊本高校総体2位
九州高校総体B2位 1回戦16-12鶴見丘
2回戦13-7日向
決勝戦 8-20長崎北
関東済々黌OBラグビーチーム「多士クラブ」発足
第一回東京済々黌熊高定期戦開催
平成2年度 会長杯Aグループ2位
熊本高校総体2位
九州高校総体B2位 1回戦19-4延岡東
2回戦15-13鶴丸
決勝10-15筑紫丘
平成3年度 熊本県新人戦優勝
九州高校新人大会A3位1回戦16-8鹿児島実業
2回戦0-54佐賀工
会長杯Aグループ3位
熊本高校総体2位
九州高校総体B3位1回戦24-3鶴見丘
2回戦7-18長崎北
全国大会県予選3位
平成4年度 熊本県新人戦3位
会長杯Bグループ3位
全国大会県予選3位
平成5年度 熊本県新人戦優勝
九州高校新人大会A1回戦0ー29長崎北陽台
会長杯 Aグループ2位
熊本県高校総体3位
ラグビー部保護者会結成(初代会長 村上氏)
平成6年度 会長杯Bグループ3位
全国大会県予選3位
東京ラグビー部同窓会「多士クラブ」
平成7年度 熊本県新人戦3位
会長杯Aグループ 2位
平成8年度 熊本県新人戦優勝
九州高校新人大会A1回戦22-30延岡高
会長杯Aグループ2位
熊本高校総体2位
九州高校総体2位G1回戦8-30延岡高
全国大会県予選2位
平成9年度 会長杯Bグループ1位
熊本県高校総体3位
全国大会予選3位
平成10年度 熊本県新人大会3位
済々黌創立記念日招待試合 済々59-14熊高
第1回7人制大会2位
熊本県高校総体優勝
九州高校総体1位G1回戦 対大分舞鶴高
全国大会県予選優勝
全国高校大会出場1回戦44-17函館有斗
2回戦12-40東筑
平成11年度 熊本国体開催
高校の部 準優勝監督内村可徳(S51)コーチ伊藤博・前田茂雅(S56)
成年の部西本大志(H3) 福岡県 前田健介(H6)出場
平成14年度 熊本市内大会 2位
平成15年度 会長杯Bグループ 3位
平成16年度 熊本市内7人制大会2位
平成17年度 会長杯Bグループ 2位
平成18年度 熊本市内大会 3位
平成19年度 ジャパントップリーグ 九電23-61サニックス
九電 前田健介(H6)吉永将宏(H11)両者トライ
平成20年度
21年度
高校日本代表コーチ就任 伊藤博氏(S46)
平成21年度 熊本市内大会2位
平成22年度 会長杯Bグループ1位
熊本県高校ラグビーベスト15 元田有祐君(H22)
平成23年度 済熊定期戦第50回記念祝賀会 OB会誌「済々黌ラグビー」40号出版
会長杯Bグループ2位
全国大会県予選3位
熊本県高校ラグビーベスト15 江藤雄思君(H23)
平成24年度 古田憲男氏(S42年卒)OB会長へ就任(代表幹事制から会長制へ)
熊本県新人大会3位
会長杯Aグループ4位
ジャパントップリーグ 九電14-55NEC 九電 吉永将宏君(H11卒)出場
平成26年度 7人制大会1位 グループ3位
済々黌ラグビーOB会入会式(3月)開始
平成27年度 7人制大会2位グループ2位
OB会・保護者会・正清総監督よりユニフォーム贈呈
平成28年度 OB会主催「熊本地震現役激励会」(加茂川S50卒山下)
熊本県新人戦3位
7人制大会1位グループ3位
平成30年度 会長杯Bブロック2位 東京済々黌・熊高定期戦第30回記念大会(東大駒場G)
創部90周年
令和元年度 済々黌ラグビー部創部90周年「祝う会」開催
ワールドカップラグビー熊本開催(フランス対トンガ、ウエールズ対ウルグアイ)
3年坂崎雄高 熊本選抜13番 熊本ベスト15に選出
令和2年度 高校総体・7人制・国体予選・合宿 新型コロナ感染予防対策の為中止
1年生大会 合同チーム(済々黌6名)優勝
令和3年度 済熊定期戦第60回記念試合(新型コロナウイルス感染予防対策の為中止)
令和4年 済々黌ラグビーOB会設立50周年(会誌50回記念号発行)
令和10年 創部100周年
県高校総体(全九州高校選手権県予選)
全九州高校新人県予選大会(RKKカップ)
昭和55年第1回開始
昭和53年第1回開始
県高校総体(全九州高校選手権県予選)
昭和55年第1回開始
全九州高校新人県予選大会(RKKカップ)
昭和53年第1回開始
歴代部長・監督一覧

※下へスクロールして表の続きをご覧ください

監督

部長

期間

宇佐美 守 宇佐美 守 昭和3年~昭和5年
牧瀬 長徳 牧瀬 長徳 昭和5年~昭和5年
吉田 三二 吉田 三二 昭和5年~昭和7年
鳥取 良平 鳥取 良平 昭和7年~昭和9年
休部 昭和11年~昭和20年
中島 桂介 中島 桂介 昭和21年~昭和24年
立山 義春 昭和25年~昭和29年
上田 道夫 昭和29年~昭和32年
永村 保 昭和34年~昭和36年
山中 謙 山中 謙
吉村 幸男
昭和36年~昭和53年
井手 積 昭和44年~昭和47年
奥村 治樹 昭和48年~昭和51年
大川 宏 昭和53年~昭和56年
正清 宗昭 昭和54年~平成10年
黒瀬 直邦 昭和56年~平成3年
池上 真麿 昭和56年~平成4年
潮崎 正治 平成4年~平成14年
内村 可徳 平成6年~平成19年
高千穂大観 平成8年~平成19年
島田 惠介 平成12年~平成27年
江藤 潤 平成19年~平成27年
瀬端 洋樹 平成21年~平成22年
波村 知明 平成24年~平成27年
武石 敏章 平成27年
竹原 功平 平成27年
上野 素成 令和2年