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OBへインタビューして、色々な話しを聞こうというこの企画。第7回は長期間済々黌ラグビーOB会事務局を支え、貢献されてきた元副会長 森永久氏(S45年卒)です。
OB会だけでなく県協会理事(総務委員長、広報委員長など)として長期間、県ラグビー協会と県ラグビー界に貢献されてこられた森永氏へ話しを聞きました。
■高校時代
Q: ラグビーを始めたきっかけは
A: 高校になって、少年雑誌の小説の影響(ラグビーのもの。名前は覚えていない)。ちょっと違うスポーツをやり たかった。
Q: 濟々黌ラグビー部時代の思い出は
A: 部室の埃っぽさ、とにかくきつかった(合宿。当時は校内合宿。寝たのは柔道場、食事は熊大食堂。当時はS26年卒の山中謙監督)。同期(15人。初代女子マネージャー含む)をはじめメンバーが揃っており2年生の終わりから負けなし。九州大会予選(現在の総体)は決勝で熊本工業と引き分け、抽選勝ちで九州大会へ出場した。第1回加地会長杯(1969年4月)で高校、大学、社会人チーム(県教員団。相手FBは濟々黌監督の山中謙先生)に勝って優勝した。今では考えられない。
Q: ラグビーの良さ、高校ラグビーで学んだこと
A: 勝利へは各ポジションが一致団結しないと勝てないこと、ワンチームが大切。それとチームメイトの交流の大切さです。
Q: どんな高校3年間でしたか?(高校生活の思い出)
A: きつかったラグビー部活も段々楽しくなり、高校生活で大事な存在になった。特に2年の終わりに試合で骨折し3か月ほど試合に出れなかった時、ラグビーが好きだと認識した。
■大学入学後
Q: 大学入学後、ラグビーとの関わりは
A: 大学ラグビー強豪校に進学したが、さすがに自分の体力・能力では無理と思い入部せず。ただ、応援はしていたし当時の日本代表岡監督に体育実技(バレーボール)を教わったことが思い出です。
■大学卒業後(会社に就職後)
Q: 就職後、ラグビーとの関わりは
A: 熊本に戻ってからOB会に関わるようになり、OBチームを作ろうとしたがすでに他チームの主力となっているOBが多く挫折、済々黌OB(S37年卒志水氏、S38年卒栄田氏)が中心になって作った七福屋サンデーズに入部し10年ほどプレーした。
Q: 熊本県ラグビー協会との関わりについて
A: OB会山中晨さんや当時の県協会会長の中村和さん(弊部OB。東大ラグビー部→熊本日日新聞社。熊工ラグビー部全盛時代の監督)からお声がかかり理事に就任した(1980~2013年までの31年間在籍した。途中2年間八代異動で休会)。総務副委員長、総務委員長、広報委員長を務めた。
Q: 当時の協会の様子。苦労したこと
A: 中村会長の英断で当時はほぼ福岡でしか開催されなかったビッグゲームを熊本でもやろうと推進。1982年の日本代表VS九州代表の対戦カードを第1弾として実施。実施運営にかなり苦労したものの、これが大成功して協会内が一致団結した。それから熊本でのビッグゲームの開催が普通になった。九州協会から大試合も熊本に任せれば大丈夫とのお墨付きをもらった。この試合を手伝ったことで協会理事に声が掛かった。
■現在の生活の様子
A:現在は無職ですが協会広報委員として籍は残っており、時々は試合の観戦記事を書いています。
■その他
Q: ラグビー部の現役(後輩)へのメッセージ
A: ラグビーは本当に素晴らしいスポーツです。ラグビーに関わってもう60年近くになりましたが今でも試合を見に行ったり、ワールドカップを観戦したり縁が切れることはないです。そして3年間一緒にグラウンドを駆け回った仲間は一生の友達として今でも付き合いがあります。卒業してからも楽しい濟々黌で、学んだことを誇りにしてください。
Q: OB会へのメッセージ、要望
A: OB会に関わって50年になりました。直接のOB会活動は引退しましたが、OB会の目的であるOB相互の交流と現役へのサポートの存続を今後もお願いします。OB会の運営や周知策など時代とともに色々方法も変わってきます。その時に合わせたベストな方法で知恵を出し合い盛会とならんことを期待します。